お返事がvv

2003年4月18日
先日法話をしてくださった永○寺の和尚さまに、うちのお寺のメルマガに法話を掲載して良いかお伺いのお手紙を送ったところ、お返事のメールが来ました。

そのメールにも知性あふれる、かつ人間的なお話が書いてあって、感激しました!!
とくに、多分うちのお寺の御縁と思って書き加えてくださったであろう余語老子の言葉「うけがう(肯定する)」という言葉は、今の私にとってとても救われる言葉でした。

やっぱり伝道をお仕事にしているだけのことはあります。さすがです。
やっぱりお坊さまはこうでなくっちゃ♪

さっそくお礼のメールをお送りしました。

明後日はいよいよ得度だし、すごく迷っていた気分も晴れて、よい式が迎えられそうです。

本当に、ありがとうございました。

和泥合水

2003年4月16日
やばいです。
修行に行ってドツボにはまっています。何やってんだ私は。

煩悩が渦巻いています。二回警策もらったくらいじゃ吹っ飛ばない、しつこい煩悩です。

吹っ切るために坐禅して、その後の茶話会でますます泥沼にはまっていくわけです。

話していると「好きだなぁ」って思うし、他の女の子と話しているのを見ると悲しくなるし。

これを煩悩と言わずして何と呼ぶよ?

「出家するんだよね?」と今日も訊かれ…。
訊かれるたびに、私の決意が揺らいでしまうし。

彼のしていたブレスがハワイ語で「大切な愛する人」とかいう意味だと言っていた。
最初は「かわい〜」と思って欲しかったそのブレスが、とっても欲しくなってしまった。
私ってバカ。

何気なく言った言葉が「なんで?どこが?それ、前の彼女にも言われたんだよね〜」とか言われるし。
なんだかすごい複雑だった。
多分、酔ってたから深い意味は無いんだと思うけど。

これは…好きだと認めざるを得ないんだよね?
やっぱり。

気分が晴れない

2003年4月13日
う〜む、なんでだろう。
気分が晴れない。

昨日は声優の養成所が同じだった仲間と遊び、そのうちの一人がうちに泊まっていった。

それなりに、会えば楽しい。
でも、話せないことも多くて、どうしても無口になってしまう。
違和感、てやつだ。

もう、声優という道から離れたほうが良いのかもしれない。
夢破れて、方向転換する者。
結婚というべつの幸せを見つける者。
家庭の事情で、実家に帰ることを余儀無くされる者。

私は、どれも選べず、細々と仕事をつないでいる。
それも、初めのころのような、演じる喜びを忘れたまま。

こんなことじゃいけない。
私は、どんな生き方をしたいんだろう?

一切皆空

2003年4月9日
うーん。考えることが色々あった一日でした。
出家して伝導に努めたい気持ちと、やっぱり一度は結婚して子供を育てる中でいろんなことを学ぶ方が人間の生き方として尊いのかとか、色々迷っています。
子供生むつもりなら、年齢的な限界もあるので早いに超したことは無いし。
別に男嫌いじゃないし、結婚に対する憧れもまあ人並みにはある。
でも、出家もしたい。
尼僧になるなら、夫帯しながらは嫌だし。

そんな中で、最近「好きだなぁ」と思う人がいたりします。
そうすると、もう、ジレンマの嵐。
彼は彼で、いろいろ悩んでいるようだし。
私のことは「修行に行っちゃうんでしょ」って思ってるし。
そういうもや〜っとハッキリしない気持ちの中で一緒に帰ったりすると、自分が分からなくなりそうで、妙に明るくなってごまかしたり、真面目な話を無理にしたり。
でもお釈迦様に言わせるとこれが煩悩だったり愛別離苦だったりして、「全ては空で」「感覚も意識も想念もみ〜んな空」なのよ。

ま、親も妻も子も捨ててきたお釈迦様だからね。
私なんぞ足元にも及びませんわ。

ドラム

2003年4月8日
今日はドラム教室。
両手のダブルストロークのバランスが良くない。
左手が特に弱いので、テンポや音量に差が出てしまう。
筋トレしなきゃ・・・。

それと、足のダブルストロークも出てきて、これはもう毎日練習しないとできないかも?
会社でも常に足を滑らす練習をしないとなぁ。
ボンジョビの曲はどうにか形になってきた。
まだ、クラッシュとか使いこなせてないけど、ライドとタムはなんとかなってきました。
「良く練習してきたねぇ〜!」と先生が言ってくれたけど、実は今週はあまり練習できなくて、朝電車の中で楽譜見ながら、イメージトレーニングしたくらい。
でも、少しは馴れてきたのかなぁ?

永○寺での法話2

2003年4月7日
そうすると、あるとき中国の阿育王山というお寺で修行をしている僧が、船にやってきます。60歳を過ぎたような老人の僧です。当時、船は貿易の手段で日本の椎茸は大変おいしくて評判だったのです。この老僧はお寺の典座・台所を預かる役職ですが、5月5日端午の節句で使う椎茸を仕入れに来たのです。船に足止めされている道元はそれは喜んで仏教の話をしたいと思います。その僧に一晩ここに泊まっていってくれと熱心に頼みます。でも、僧の方は「自分は典座という大事な役職にあってその仕事は人に譲れるものではない。まして買い物に来ただけで許可も無いから、それはできない」と断られます。道元はなおも「典座の役に就いている者は一人二人ではあるまい、あなた一人が帰らなかったからといって困るほどではないだろう。自分ははるばる仏法を学びに日本から来たのだから、どうか泊まってほしい。」と頼みます。しかし、「典座はこの老齢になって与えられた役職で、この役目が生涯のさいごの修行となるかもしれないから、おろそかにはできない。」と断られます。道元は「なぜあなたのような年老いた僧が、典座の仕事などをそんなに一生懸命にやる必要があるのか。あなたほどのお歳なら、坐禅をし、教本を読むのがふさわしい修行ではないのか」と問います。
すると老僧は「外国の若いお坊さん、あなたはまだ勉強の何たるかをわかっていないようだし、文字の何たるかも知っていないようですね」と言って、笑うんです。道元はこの言葉をきいて、恥ずかしいと思うものの、やっぱり訴くわけです。「文字とはなんでしょうか、仏道を勉強するということはどういうことでしょうか」って。「如何(いかに)あらんか是れ文字、如何にあらんか是れ弁道」って、こういう言い方すると、禅問答っぽいでしょ?訳わかんなくてね(笑)。典座は、「問うているあなたのその脚下をふみはずさなかったならば、その人は本当の勉強・修行ができたということですよ」と言って帰ってしまうんです。
このときに、道元はすごいカルチャーショックを受けるんです。それから、道元は天童山という有名な道場で同じようなショックを沢山受けて、仏教を学んで日本に帰ってきます。そして、しばらくしてこの永平寺を開くんです。道元禅師が書いた「正法眼蔵」という書物は、本当にいろんな人に訳されていますが、役に立つ考え方、心の置き方が書いてありますから、これはぜひ読んで、その一部分でも心に留めておいて欲しいと思うんです。
私は職業柄、仏教びいきになってしまうんですが(笑)、キリスト教のお話に、こう書いてあります。パンが5つと、魚が2匹でイエスは5000人の民を満腹にした、と。どう思います?5つのパンを5000に分けられると思いますか?相当大きなパンですよね。でも、イエスが祈ると、みんなが満ち足りる大きさになるわけです。神様を信じていれば、求めるものは与えられるというのが、キリスト教の考え方、需要に供給を合わせていこうというのが現代社会の大きな考え方の主流だと思います。でも、本当にそれで彼等は満足するのでしょうか?そうです。人は、一つの欲が満たされると更に欲が出てきます。欲求の線がどんどん伸びていくと、供給の線もどんどん伸ばさないと間に合わなくなるんです。これでは、いくら頑張っても満ち足りることは有りませんよね。


仏教では、まず、供給を基準にものごとを考えます。足りる分だけしか望まないように、欲求の方を小さくするわけです。それが、無我ということです。「我を無くせ」とは言っていません、小さくするだけで、心が穏やかに過ごせるということです。携帯電話が無いなら無いなりの、生活で不便を感じないようにできるんです(笑)。永平寺にはテレビはないですけども、テレビが無いなら無いで、大丈夫なんです。今、永平寺ではお粥を食べてますけど…今朝も食べましたし、これからお昼にも食べますが…道元禅師は「お粥を食べろ」とは言ってないんです。まず、秋にお米が採れたらそれを360で割って、それで修行僧全員に足りるようならご飯を食べなさいと。足りなかったらお粥にしなさい、それでも足りなかったら米を粉にしてお湯で飲みなさいと言ってるんです。今は一年中コンビニでもお米が採れますけどね(笑)。
「供給に需要を合わせる」。とても合理的な考え方だと思いませんか?

さいごに、私の持論をお話して終わりたいと思います。
よく「二本の支えをもて」というのを教育現場で聞きます。(黒板に図を描いて)
この丸太が人だとして、地面に埋まっている部分はまあ、宗教とかその人の根元にあるもの。そしてこの両側から支えているのが、左の綱が「学校教育」で右の綱が「家庭・地域」とでもしましょうか。そうすると、どうでしょう?
両側の綱の1本でも切れると、この丸太は立っていられないでしょう?根元が腐っても同じです。両方から引っ張られて倒れる。
だから、この支えをたくさん増やして欲しいんです。そうすれば、1本や2本切れたって倒れないでしょう?夢とか友達とかなんでもいいんです。その中に、仏教の考え方も1本加えておけば良いと思うんです。」

最後に「それ1本になっちゃうと、庵主さんになっちゃうからね(笑)。」と、私に言ったのは何でだろう?
全く未知の、一言もしゃべってない一ツアー客の私を、法話中ずっとネタにし、私の出家願望まで見抜いていた中○師、おそるべし。

永○寺での法話1

2003年4月6日
しばらく待つと、法話をしてくださる和尚さんが、新到さんに案内されて入室してきた。若く見えるが40代前半といった感じの、柔和でおっとりした雰囲気の和尚である。深緑色の衣が上品でとても良く似合っている。
お話を聞く前に合掌して御拝をする。お寺でいつも指導されているから、正しい角度・姿勢でできているはず。
師は、まず「どちらからいらっしゃったのですか?」「永○寺に初めていらっしゃった方は?」と数人に問いかけてアイスブレ−キングをする。
そのあと、「唯識」をテーマとして話を始める。
まず、人の認識とはいかに「我」を中心としたものであるか、をやさしく解説する。おりしも、弟子が持ってきたお茶の茶托の色を「何色ですか?」と問い、「朱色」と声が上がると「では、あなたのバッグの色は?」と正面の人に問う。「これも赤です。」。次に私に視線を移し「では、あなたの口紅の色は?」と問われ「赤?」と答える。
「そうです、これらの色はみな一般に‘赤’といわれる色ですが、ではこの茶托と、バッグと、口紅の色は全く同じ色でしょうか?」「また、‘赤’といわれたときに私たちが思い浮かべる色は、全くおなじでしょうか?違いますね。みな、それぞれの赤を思い浮かべます。‘本当の赤’というものは存在しないのです」お茶の入っていた茶碗を手に取り「これは何ですか?茶碗ですね?では、これにもし剣山が入っていて花が活けてあったらどうでしょう?これは花器ということになりますね。では、この茶碗が欠けていたら?これはゴミとなるでしょう。そうです、このように絶対的な‘茶碗’というものは存在しないのです。これにお茶を注いで、誰かが飲んだとき、初めてこれは茶碗になるのです。このように、私たちは常に自分の物差しで物事を見ています。自分の都合で物事を認識しているのです。」
私が、首から携帯電話を下げているのを見てニッコリ。「あなたが携帯電話を下げているので(たとえに)使いますが、たとえば永平寺のお坊さんを見て“ああ、携帯電話が無くて不便だろうな”と思ったとします。それは、そのひとの尺度でものごとを計るからそう思うのであって、私たちは永平寺で暮らしている以上は急いで外部に連絡するようなことは無いし、外と連絡を取る必要も無いので、不便でも何でもないわけですよ。」
ですから、仏教ではこの「我」を少なくしましょうといっています。あるがままの物事を受け入れ、自分の都合で物事を見ない事が大事だと説いています。般若心経の中に‘無・眼耳鼻舌身・意’とありますね。この自分の五感で感じることを「無」にすることによって、心の平安が訪れるわけです。
道元禅師のお話を少ししましょうか。曹洞宗の開祖はご存知の通り道元禅師ですが、この方はもともとは公家の御生まれです。御生まれになったのはお父様は久我通親という御公家さんでお母様は藤原基房の娘、こちらも貴族ですがこの方ははじめ木曽義仲に嫁ぎましたが、あまり良くない人で(笑)都では受け入れられませんでしたので、30代になってから久我通親に再度嫁ぎます。今では30代で結婚されるのは珍しくないですけれども、当時としては大変遅い結婚でした。もっとも、通親のほうも大変なお歳だったようですので、道元禅師は大変遅い子供だったといえます。道元が3歳のときにお父様が、8歳でお母様が亡くなって、道元禅師は幼いながらに世の無常という物を感じられたんでしょうね。13歳の春に、比叡山に出家されます。
当時は比叡山が仏教の大学のようになっていまして、仏教を学ぶ中心のようなところでした。そこで道元は栄西・臨済宗の開祖ですが、この方に教えを請いたいと思います。しかしかなわずに、その弟子の明全という人とともに24歳のとき宗(今の中国)へわたります。今は飛行機で1時間くらいで行けますけれど、当時は中国へ行こうと思ったら、それは大変なことだったと思います。いまも別の意味で大変ですけどね、肺炎とかね(笑)。
ま、そんなわけで大変な思いをして、中国へ行きますが、当時も入国審査のようなものがあって、すぐにはお寺に入れないんです。どういう身分で、どんな目的でやってきたのか明らかにならないと、入国させてもらえないんです。それでしばらく船で過ごすことになりました。
当時、道元は「どうして悟りを得るのに、修行が必要なのか」非常に疑問に思っていたようです。「人間みんなに仏性(仏様の赤ちゃんと思ってください)があるのならば、なぜ修行をしないと悟れないのか?」どうしても知りたいと思って、大変な熱意を持って宗に渡ったのです。

出会いと別れ

2003年4月3日
仕事で半年間受け持っていた研修のクラスが、先週修了式を迎えて無事終わった。私が入社して始めて本格的に関わったコースで、しかもそのプログラム自体初めての試みだったので、試行錯誤もあり、大変厳しい仕事ではあった。
新米教師が、初めて担任した生徒が卒業してしまったような感覚と同じだろう。(彼等が私を担任とおもっているかどうかは別として)
いろいろ手を焼いたことも今となっては良い想い出だし、
この半年間での成長ぶりに本当に感心した。
先程、第2期の準備のために、1期生の開講式(入学式みたいなもの)のときに撮った集合写真を見たが、初めて集まった不安げな表情、緊張の表情がある意味初々しいし、のちにこんなに仲良くなるとは思っていなかっただけに面映ゆい気持ちになった。
一抹の寂しさとともに、第2期生とはどんな出会いが待っているのか、楽しみでもある。

雨の坐禅会

2003年4月2日
今日の坐禅会は雨のせいか、参加者人数は少なめだった。
とはいっても、35人くらいはいたかしら。
雨の日の坐禅は良い。
雨の音や、湿った空気。
ヴェルレーヌの詩を思い出す。

巷に雨のふるごとく 我がこころにも涙ふる
かくも心に滲みいる この悲しみは何やらむ
大地に屋根に降りしきる 雨の響きのしめやかさ
うらさびわたるこころには おお 雨の音 雨の歌

だったかな?

細かいところは違うかも?
訳文も訳者によって少しづつ違ったりね。

こんあに悲しい気持ちではなかったけど、この詩を思い出す夜でした。
満開のサクラに雨が降りそそぐ、情緒あふれるお寺も良いです。


今日は行く前はけっこうダルかったのに(苦笑)、坐禅が終わったらなんか妙に張り切ってる自分がいました。
やっぱり仏道っていいわ。

ドラムレッスン

2003年4月1日
2週間ぶりのドラムレッスン♪
ストロークの練習ではダブルストロークを多用した、少し難易度高めの楽譜をもらいました。
なんとか間違えずに叩くのがやっとで、1打目と2打目の音のバランスとかアクセントには気を配れないし、テンポもまだまだゆっくりです。
教本の初見のシンコペーションがいくらやっても出来なくてガッカリ。
クラッシュシンバルを使うのと、初見ということでからだがナカナカ覚えてくれず(涙)。
先生に「来週まで待ってくださ〜い」と泣き付く(汗)。
曲はボンジョビの曲を新たにくばられてやりました。
今のところ問題なし。
フレーズは難しくない(でもクラッシュ使う余裕ないけど)フィルインもついていける程度。
来週までに練習することが沢山増えたぞ〜!!

帰りに仮面ライダー555の敵役の泉政行くんが載っている写真集を買って
ご機嫌で帰宅。
今イチオシの役者さんです☆

BLイベント初体験

2003年3月30日
あえてBLとは何か書きませんが(笑)。スタッフでした。
すさまじかったです。お客さんの熱気と、愛?が。

久しぶりに会ったKさんは、(朝方まで飲んでいたと思われる)眠そうな顔で、お決まりの
「久しぶりだね〜、綺麗になったんじゃないの?男でもできたか!?」と挨拶。
それさあ、会うたび言ってるよね?私もう5回は聞いてるよ、その台詞。

入りが早かった超大先輩N氏が、われらの楽屋にわざわざ挨拶に来てくださった。
なんていい人なんだ・・・!

Jさん待ちでリハが押してしまい、開演も30分押し。
すべてが嵐のように過ぎていきました。

開演中に楽屋に戻ったら、通りすがりに若いスーツのスタッフ証つけた男性に
「お疲れさまで〜す」と言われたんだけど、急いでたから無視した感じになっちゃったのね。
ま、誰かのマネージャーさんだろうと思って気にしないでいたら
ステージに登場してくるじゃないか!?
彼は隠しゲストの声優さんだった・・・。
しかも、7つも年下だけど先輩だった・・・。

ヤバイ。あとで謝らねば。

そうこうしているうちに、撤収も終わって打ち上げだったけど、これがまあ微妙。
またまた人気絶頂M氏がビールを持ってきてわざわざ乾杯に回ってきてくれた。
なんていい人なんだ・・・!
超人気なのに、その腰の低さ!その丁寧さ!
(↑これは今日で一番感動した出来事だった。)

先輩を無視した私とは大違い(笑)!

そんなこんなでSKさん、K平さん、N剣さんとも一通りお疲れさまを言い、解散。

出待ちとかする人、いるんですね〜。
いや、良い悪いじゃなくて、その熱意がすごいと思って。
なんか最近年取ってきたのか、そういう風に熱狂できなくなってきた気がする。

そして微妙な二次会。
でも、良い人も居た。
っていうか、やっぱ上に行く人はすごい人柄も良くて気を使える人なんだなぁと思った。

ま、いろいろ勉強になった一日でしたさ。
あ。S田さんに謝るの忘れた・・・。
ま、いつか現場でお会いしたときに改めて、ってことで。

S.O.A.P.

2003年3月29日
今日はS.O.A.Pの出演するイベントがあるので、平日と同じ時間に家を出る。
ちなみに会場は会社の隣のビル。嬉しいような悲しいような。

徹夜組もいたらしく、9時半から並んだけど整理番号88番。

結局、指定の時間に会場に行ったらもう客入れは終わっていて、整理券の番号なんか関係なくてほぼ最後尾。これなら開演時間に来ても同じじゃん。
ライブよりは本人との距離が近いんだけどね。

歌うのかと思ってたらトークだけだし。しかも30分。
…無料だから仕方ないけど。
メインはカバーリストコンテストで、S.O.A.P.はあくまでゲストだけど。
それにしても不完全燃焼なイベントだった。
私がイベンターだったらもうちょっと面白くするよ、同じ条件下でも。

ま、sakuraはあいかわらずカッコ良かったし☆
あんなに髪の短い彼ははじめて見ました。ファン暦10年近いのに。
短い(っていってもGLAYのTERUくらいだけど)のも似合うよ〜。いつも以上に顔ちっちゃく見えるし。
何か心境の変化でしょうか。
やっぱりkenちゃんが言ってたとおり、逮捕6年目の節目に?

やっぱり黒い服だったけど、ハイネックの黒のインナーに、黒のジャケット(もしかするとシャツかも)を重ねていて、相変わらず腕には黒のブレスたくさんで。
で、最前列と数十センチしか離れてないから恥ずかしいのか、それとも後ろのドラムセットが気になるのか、序盤はずっと後ろ向いてましたね〜。
登場のときも、前のトーク席に座る前に一度ドラムセット前に座っていたし(笑)。
kenちゃんはずっとグラサンはずさなかった。
einは何気にいっぱいしゃべってた…。
っていうかしゃべるeinをじっくり見たのははじめて(苦笑)。

トークは…あらかじめ用意したお客さんの質問に答える形式で、どこまでが本気でどこからが嘘か分からない答えばかりでした…。
kenちゃんは「2階に1回は着信拒否」をメンバー二人からされる、と言ってました。
司会者に「なんで出ないんですか?」と訊かれたsakuraは少し笑ってから「あやうく放送禁止用語言うところでした」と、お決まりの答えを言ってましたね〜。

結局なんだかんだ言っても、sakuraの元気そうな顔が見られただけで、幸せだったのですよ。

家に帰ったら、アクアのPS2が届いていて嬉しかった。
TVで見たマウンテンバイクの有薗啓剛さんがカッコ良くて、はまった。
できないことを「できない」といえるのはすごい。
それに対して伸介はヤな感じだったけど。
でも、無理なことをやりきった彼は凄い。
凄い精神力と集中力。
ああいう人だから、8年も連続で日本一の座を守り続けられるんだろうな。
すごいな、すごいな。

働いた!

2003年3月24日
今日は会社でフル回転だった。
わりと仕事のテンポは一定でそんなに忙しい事は
滅多にないのだが、期末で締めが近いのと、
受け持っていたコースが終了するので
その式典準備の大詰めで慌しかった。

もうひとつ、ラジオ番組の方のタイアップが決まって良かった。
日曜のイベントの仕事も決まったし。
里子のためにも働かないとね〜。


私の里子になる子の資料が来た。

英語の部分はともかく、成績表に至ってはインドネシア語で読めない。
たぶん、成績表なんだと思うけど、科目名がわからない・・・。
結論:辞書買わないとね。

中学三年生。
33人クラスで2番の成績だそうだ。
その33人のレベルにもよるけど、まあまあ良い成績だ。
9人兄弟の5番目。
父:不定職者。

…不定職者???

それはなに?9人も子供いて?
日雇いみたいなことやってるの??
ま、それはおいおい里子に聞きませう。

そしてこの子。目が良いのだ。
射るような、強いまなざしだ。

良い信頼関係を築けるといいな。
頑張ろう。


PS:「千と千尋〜」オスカー獲得万歳!!
しかしなんで、宮崎アニメは突然声優使わなくなったんだろう??
メイキングでヘタクソな女優に悪戦苦闘しながら演出つけてる宮崎監督を見るたびに思う。
いったい誰の陰謀なんだ?
某声優I氏も
「宮崎アニメで声優使わないのは、なんでだろ〜♪」
って「何でだろう」歌ってたぞ。

日曜の朝

2003年3月23日
日曜は7時半に起きる。
なぜならお気に入りの声優・宮田氏が「アバレンジャー」の
恐竜の声をやっているから。

「アバレンジャー」はホントにお子様向け番組で
予算も役者も、そのあとの「仮面ライダー555」に比べると安っぽい。
しかしその「安っぽ感」がまた良かったりする。

「555」はテーマ性、役者や特撮の出来等も大人が見るのに
耐え得る内容となっている。
いわゆる共感とか感動を伴ってみられる番組だ。
しかしときに重い。

そこでアニメ「明日のナージャ」が有るわけだ。
これは「555」を観て少々ナーバスな気分になったときに流れ込んでくる
さわやかな風のようなアニメだ。
昔の「ハウス名作劇場」的ノリで、爽やかな気持ちで見終わることができる。
この7:30〜9:00までの流れはなかなか良い。
休みだからといって怠ける気持ちがなくなってくる。
以前は日曜といえば昼まで寝ていた私も、
健康的で充実した休日を送れるようになった。
しかし来週はイベントの仕事はいっているから見られる微妙だわ。
たまには声優業のことも書こうかな。

もうすぐ、ラジオの仕事が始まるのでそのサンプル収録をしなくちゃいけないんだけど、なかなかいろんな都合が合わず延ばし延ばしになっている。

まず、番組で使うテーマ曲のタイアップの話が進んでないんだよね。
っていうか返事待ちなんだけど。
そこが決まらないと、OPやEDで話す「バンド名と曲紹介」の台詞が変わってくるから収録できないわけよ。
おーい。4月からOAなのにどうすんだよ〜!

番組も番組だ。
はっきり言って、くだらない…。
この戦争の世の中に、何やってんだと思わなくもない。
しかし、リスナーに一時の笑いをもたらすために、私はやるさ!

そもそも「売り方」がまずかったよな〜。
もうちょっと女の子キャラで売っとくんだった。
始めに男の子キャラで売り出したために、そのイメージを崩せなくなってしまった…。
ま、「アイドル声優やれ」と言われるよりは遥かに楽なんだが(笑)。(←言われないから安心しろよ)
髪が伸ばせないのと、いつもツッコミキャラでいるのがちょっと辛いけど頑張るよ。

最近ファンレター来ないな・・・。
半年前まで鬼のように来てたのに。
番組始まったら、また復活することを期待して♪

明日は事務所内のオーディションだが、いろんな理由で受けない。
なんかね。・・・いやな業界だよ。
自分も信じられないし他人も信じられないから。
やっぱり、「売れる」しかないのさ。

どーでもいいが、マネージャー氏。
4月からの仕事の話で打ち合わせするって言ってた件はどうなったんすか!?
3/30のイベントは私、行くんすか!?

教育里親になる

2003年3月21日
「教育里親」とは、簡単に言えばアジアの貧しい地域の子供たちに月3000円の仕送りをし、文通で交流をはかるというもの。
このお金は、すべて学用品や学校へ行くためのバス代となり、優秀で向学心があっても貧しさで学校へ通えない子供たちにとって、大きな力となる。
「あしながおじさん」を思い浮かべると近いかもしれない。

私は将来出家するつもりでいるので、おそらく自分の子供は持てないだろう。
「子を育てて初めて一人前」と親には言われてきた。だが、結婚したい人もいないし、準備ができたら出家したいと思っている。
だから、子を育てる親の幸せや楽しみ、悩み苦しみは体験しないまま終わるのだろうと思っていた。

そんなとき、この制度を知り、数ヶ月考えた。

「里親」として10年弱にわたって、一人の子供と(金銭面と文通だけだが)向き合い、励まし、社会に貢献できる人間に育てていかなければならない。
それが、私にできるだろうか?
途中で放り出すわけにはいかないのだ。

しかし、今回の戦争で決心がついた。
私はイラクの子供たちには直接何もしてあげられないが、その子供たちが大人になったとき、私の育てた子供が「戦争」を否定できる大人になっていれば良い。
同じ悲劇をこれ以上繰り返さない、そういう大人になっていれば良い。
新たな「戦争」に反対できる国を作ってくれれば良い。

そのために年間36000円の投資をするのなら安いものだ。
勉強して、医者や、教育者や、支援団体で活躍できる人間になってくれれば一番望ましい。
けれど、最低限「学んで良かった」と思い、その子供だけでも幸せになってくれればそれはすばらしいことだ。

人を幸せにすること、救うこと。
仏教の精神にたがわず、しかも私の「子育て」願望をかなえてくれる。
とても幸せな気分だ。

開戦

2003年3月20日
結局、方丈さんの話が面白くて終電を逃してお寺に泊めていただいた。
眠い頭で仕事をしていると、開戦したとのうわさが流れてきた。
ネットで確認すると、事実のようだった。
ひどく、がっかりした。

これからイラクの子供たちは、心に大きな傷を残すことになるだろう。
戦争が終わったあとも、一生大きな音や、振動におびえる日々が続くのだ。

親や子を失う悲しみを、いったいどうやって償うというのだろう。
民主主義という大儀のどこに、そんな力があるというのだろう?
その恐怖と悲しみを、アメリカは償えるというのですか?

大衆一如

2003年3月19日
今日は坐禅会の日。雑誌「ケイコとマナブ」の取材が入っていた。
先日取材があった「トリニティ」誌のできあがりを見たら、今までになく良い写真と雰囲気で、文章も良かった。
寺が取り上げられて、沢山人が集まってくることはとても良いこと。小人数で坐る楽しみも有るが、大勢がまさに大衆一如となったときが本当なのだと思う。
「大勢だから坐りにくい」とか、そんなのはきっと甘えだ。お山を見てみろ。数百人が修行していても鳥の囀り、風の音が聞こえるじゃないか。
そういう雰囲気を作り、境地に持っていくのが我々の仕事なのだ。
得度を控えて、方丈さんとお話できてよかった。

用意していた降誕会一日坐禅会のチラシはあっという間になくなった。また増刷せねば。

ウイルス騒動

2003年3月17日
KLEZらしきウイルスに自宅PCが感染していた。
前に、オークションで仏像を買ったときの取引先から来たらしい。
最悪。

朝から通知メールや電話で主だった人々に連絡。仕事どころじゃない。
結局会社を早退して復旧を試みる。
駆除に成功して、なんとか事無きを得た。

良かった〜。友達や知人に迷惑を掛けるのが一番怖い。
アドレス帳に登録してある人に勝手になりすましメールを送るので、気が気じゃなかった。
だって某世界的指揮者のアドレスとか、私の通うお寺のメインアドレスとか登録してあるから、対処次第で世界中に広まるところだったのよ。

1 2 3 4 5 6

 

最新の日記 一覧

<<  2025年6月  >>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293012345

お気に入り日記の更新

テーマ別日記一覧

まだテーマがありません

この日記について

日記内を検索