永○寺での法話2

2003年4月7日
そうすると、あるとき中国の阿育王山というお寺で修行をしている僧が、船にやってきます。60歳を過ぎたような老人の僧です。当時、船は貿易の手段で日本の椎茸は大変おいしくて評判だったのです。この老僧はお寺の典座・台所を預かる役職ですが、5月5日端午の節句で使う椎茸を仕入れに来たのです。船に足止めされている道元はそれは喜んで仏教の話をしたいと思います。その僧に一晩ここに泊まっていってくれと熱心に頼みます。でも、僧の方は「自分は典座という大事な役職にあってその仕事は人に譲れるものではない。まして買い物に来ただけで許可も無いから、それはできない」と断られます。道元はなおも「典座の役に就いている者は一人二人ではあるまい、あなた一人が帰らなかったからといって困るほどではないだろう。自分ははるばる仏法を学びに日本から来たのだから、どうか泊まってほしい。」と頼みます。しかし、「典座はこの老齢になって与えられた役職で、この役目が生涯のさいごの修行となるかもしれないから、おろそかにはできない。」と断られます。道元は「なぜあなたのような年老いた僧が、典座の仕事などをそんなに一生懸命にやる必要があるのか。あなたほどのお歳なら、坐禅をし、教本を読むのがふさわしい修行ではないのか」と問います。
すると老僧は「外国の若いお坊さん、あなたはまだ勉強の何たるかをわかっていないようだし、文字の何たるかも知っていないようですね」と言って、笑うんです。道元はこの言葉をきいて、恥ずかしいと思うものの、やっぱり訴くわけです。「文字とはなんでしょうか、仏道を勉強するということはどういうことでしょうか」って。「如何(いかに)あらんか是れ文字、如何にあらんか是れ弁道」って、こういう言い方すると、禅問答っぽいでしょ?訳わかんなくてね(笑)。典座は、「問うているあなたのその脚下をふみはずさなかったならば、その人は本当の勉強・修行ができたということですよ」と言って帰ってしまうんです。
このときに、道元はすごいカルチャーショックを受けるんです。それから、道元は天童山という有名な道場で同じようなショックを沢山受けて、仏教を学んで日本に帰ってきます。そして、しばらくしてこの永平寺を開くんです。道元禅師が書いた「正法眼蔵」という書物は、本当にいろんな人に訳されていますが、役に立つ考え方、心の置き方が書いてありますから、これはぜひ読んで、その一部分でも心に留めておいて欲しいと思うんです。
私は職業柄、仏教びいきになってしまうんですが(笑)、キリスト教のお話に、こう書いてあります。パンが5つと、魚が2匹でイエスは5000人の民を満腹にした、と。どう思います?5つのパンを5000に分けられると思いますか?相当大きなパンですよね。でも、イエスが祈ると、みんなが満ち足りる大きさになるわけです。神様を信じていれば、求めるものは与えられるというのが、キリスト教の考え方、需要に供給を合わせていこうというのが現代社会の大きな考え方の主流だと思います。でも、本当にそれで彼等は満足するのでしょうか?そうです。人は、一つの欲が満たされると更に欲が出てきます。欲求の線がどんどん伸びていくと、供給の線もどんどん伸ばさないと間に合わなくなるんです。これでは、いくら頑張っても満ち足りることは有りませんよね。


仏教では、まず、供給を基準にものごとを考えます。足りる分だけしか望まないように、欲求の方を小さくするわけです。それが、無我ということです。「我を無くせ」とは言っていません、小さくするだけで、心が穏やかに過ごせるということです。携帯電話が無いなら無いなりの、生活で不便を感じないようにできるんです(笑)。永平寺にはテレビはないですけども、テレビが無いなら無いで、大丈夫なんです。今、永平寺ではお粥を食べてますけど…今朝も食べましたし、これからお昼にも食べますが…道元禅師は「お粥を食べろ」とは言ってないんです。まず、秋にお米が採れたらそれを360で割って、それで修行僧全員に足りるようならご飯を食べなさいと。足りなかったらお粥にしなさい、それでも足りなかったら米を粉にしてお湯で飲みなさいと言ってるんです。今は一年中コンビニでもお米が採れますけどね(笑)。
「供給に需要を合わせる」。とても合理的な考え方だと思いませんか?

さいごに、私の持論をお話して終わりたいと思います。
よく「二本の支えをもて」というのを教育現場で聞きます。(黒板に図を描いて)
この丸太が人だとして、地面に埋まっている部分はまあ、宗教とかその人の根元にあるもの。そしてこの両側から支えているのが、左の綱が「学校教育」で右の綱が「家庭・地域」とでもしましょうか。そうすると、どうでしょう?
両側の綱の1本でも切れると、この丸太は立っていられないでしょう?根元が腐っても同じです。両方から引っ張られて倒れる。
だから、この支えをたくさん増やして欲しいんです。そうすれば、1本や2本切れたって倒れないでしょう?夢とか友達とかなんでもいいんです。その中に、仏教の考え方も1本加えておけば良いと思うんです。」

最後に「それ1本になっちゃうと、庵主さんになっちゃうからね(笑)。」と、私に言ったのは何でだろう?
全く未知の、一言もしゃべってない一ツアー客の私を、法話中ずっとネタにし、私の出家願望まで見抜いていた中○師、おそるべし。

コメント

最新の日記 一覧

<<  2025年6月  >>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293012345

お気に入り日記の更新

テーマ別日記一覧

まだテーマがありません

この日記について

日記内を検索